弊社、タナカ株式会社 代表取締役 田中 正之は連休中、基本的には地元広島市佐伯区
域内で過ごしていました。
一方テレビニュース等では、行楽地での人の流れが生まれ、混雑していたようですよね。
実は、その反動ではございませんが、連休中に懸案だった弊社ホームページのデイレクションを
お願いしました、アートディレクターさんと一度、廿日市市「けん玉商店街」
井口水産 [さかなや道場] 広電廿日市駅前店(0829)34-0277で情報交換会を開催しました。
さて、弊社名刺には●広告制作、キャラクター等の企画・販売(業務)を目指して日夜市場動向、
消費者の関心など新聞、経済雑誌、TVニュース等を中心にマーケテイングリサーチを行っています。
それでは、本論「日経新聞」2019年(令和元年)5月4日(土)「読書」
〈半歩遅れの読書術〉(「ストーリーとしての競争戦略」著者)楠木 建「2つの松下幸之助像」
『矛盾は矛盾なく同居する』~松下幸之助著『道をひらく』(PHP研究所)。
今もなお読み継がれている名著だ。自らの拠(よ)って立つ思想と哲学が実に平易な言葉で書かれている。
特別なことは何もない。「自分の道を歩む」「素直に生きる」「本領を生かす」-言われてみれば
当たり前のことばかり。 にも関わらず、この本がここまで大きな影響をもつに至ったのはなぜか。
幸之助は、言葉において強烈なのである。言葉が腹の底から出ている。フワフワしたところが一切ない。
本質だけを抉(えぐ)り出す。一言一言に実体験に根差したリアリティがある。
繰り返し困難に直面し、考え抜いた先に立ち現れた人間と仕事の本質が凝縮する。だから言葉が深い。
直球一本勝負。やたらと球が速い。しかも、重い。
ところが、である。岩瀬達哉著『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』(新潮文庫)
もう一つの幸之助像が浮かび上がってくる。数限りない幸之助伝の中で異彩を放つ本書。
「正史」には書かれなかった人間・幸之助の姿を直視する。 むき出しの利益への執念。
妾宅(しょうたく)との二重生活。袂を分かち三洋電機を創業した井植歳男との確執。
成功体験にとらわれ迷走する晩年期。ひたすら血族経営に執着する姿はもはや老醜といってよい。
「素直な心」どころではない。
「これまで見た中で首尾一貫した人間は誰一人としていなかった」-サマセット・モームの結論である
(『サミング・アップ』岩波文庫)。一人の人間の中に矛盾する面が矛盾なく同居している。
そこに人間の面白さと人間理解の醍醐味がある。
『血族の王』を詠んだ後で、『道をひらく』を再読する。いよいよ味わい深い。
ますます迫力がある。「素直さは人を強く正しく聡明にする」-幸之助は自らの矛盾と格闘し、
念じるような気合を入れて自分の言葉を文章にしたのだと思う。
彼の言葉は「理想」ではなく、文字通りの「理念」だった。だからこそ、『道をひらく』は
人々の道標になり得たのである。
人間ゆえの限界を差し引いても、なお日本最高にして最強の経営者。幸之助への尊敬がつのる。(経営学者)
【産経抄】(本日)2019.5.9(木) 18世紀以前のヨーロッパでは、名画を救うという名目で、
加筆や修正が当たり前のように行われていたようだ。約500年前にレオナルド・ダビンチが修道院の
壁に描いた傑作「最後の晩餐(ばんさん)」も例外ではない。さまざまな画家が自分の好みで描き直し、
原作とは似ても似つかぬ姿に変えていった。
20世紀の終わりに20年にわたって行われた修復は、その一つ一つを洗浄していく作業だった。
7年前、スペインの小さな町の教会にあるキリストのフレスコ画が世界中の注目を集めた。
80代のアマチュア画家の女性が劣化した絵に心を痛めmボランティアで加筆したものだ。
毛むくじゃらのサルのようになったキリストの絵が地元紙で紹介されると、批判の声が相次ぎ、
女性はショックで寝込んでしまった。
ところが、その後事態は急展開する。「サルのキリスト」を一目見ようと、町に観光客が押し
寄せるようになった。女性は町おこしの立役者として面目を施し、画才も大いにたたえられる
ようになったそうだ。
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