平成30年10月11日(木)広島市佐伯区於いて、タナカ株式会社を創業
代表取締役 田中 正之は多くの方々と同じ昭和生まれです。
平成時代に多くの経験ができた喜びと次なる時代をどう開拓して行くのか、私自身は時代の流れを
ひと様よりいち早く、アンテナを高く張り巡らし一人ひとりの課題解決への道しるべとなれれば
「ささやかなこの人生を全うできたのではないか?」と自問自答できるはずです。
さて、読売新聞 2019年4月28日(日)朝刊 別冊「よみほっと」2面《皇室ダイアリー》
(新時代より「皇室点描」へと代わります)『最高潮で終える象徴の旅』
(ちょっと私の旅路の写真4枚添付)
編集委員 沖村 豪 ラベルの「ボレロ」のような幕切れですね-。
天皇陛下の歩みを長年、見守ってきた人がそんな例えを口にした。バレエ楽曲の
ボレロが印象的なラストで知られる。同じリズムが延々と続くなか、初め控えめだった
曲調は、徐々に勢いを増し、最高潮に達した瞬間、ぱっと終わる。
「皇太子時代の陛下は、今のように地方公務が注目されない時期もあった」。
昭和の皇室を取材した記者の証言だ。当時の記事の多くは、行事出席のみを短く報じていた。
そんな状況でも陛下は黙々と国民と触れあう旅を続けられた。視察した福祉施設は
500を超え、即位後だけで全国を2巡された。
在位中最後の地方訪問となった今月中旬の伊勢神宮参拝は、行く先々に人々が集まり、
陛下への感謝と敬意が示された。 象徴像をひたすら模索された旅は、圧倒的な支持のなか、
憲政史上初の退位という形で終焉(しゅうえん)を迎える。
産経新聞 2019年4月30日(火)朝刊1面《平成の終わりに》『真直なる天皇の大きなる道』
平川 祐弘・東京大学名誉教授 新天皇の即位を祝し、天皇家のお歌を掲げ、
皇室の弥栄(いやさか)を祈らせていただく。
さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり
明治天皇は人はいかに生きるべきか、心がけをうたわれた。お歌は
天皇様はじめだれしもがそうありたいと願う気持ちである。
外国は日本を the Rising Sun 旭日の国と呼んだ。和歌をよみ心が動くほどの人は
日本の民である。一国語、一歴史の民族の間では歌を介して心が通う。私ども昭和一桁世代
(私の父、母も同じ昭和一桁世代です)は小学校で明治天皇御製(ぎょせい)をお習いした。
あさみどり澄みわたりる大空の廣きをおのが心ともがな
これが神道の訓(おし)えと私が気づいたのはだいぶ後である。
自覚が遅れたのは、敗戦後、占領軍総司令部の否定的な神道解釈の下で教育された私たちは、
自国の過去に背を向けがちだったからだ。神道には経典もない。他の一神教と違い
「スルナカレ」式戒めはない。だがお歌には人の人たるべき道がゆったりと示される。
清く明るい審美感こそ神道の倫理観なのだ。
明治天皇は、祖神を伊瀬神宮に祀る神道のまつりごとこそ天皇家の大切なお努めと
考えられた。国を挙げ西洋化(近代化)につとめた治世の末(すえ)つ方(かた)、
明治四十三年に詠まれた。
わがくには神のすゑなり神まつる昔のてぶりわするなよゆめ
近代史を通じ政治に近く位置した天皇は睦仁陛下だが、日本の宗教文化の伝統を守る
旨あらためて強調されたのである。・・・
とこしえに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ
明治天皇はこう祈願された。平成の陛下も即位の後、緑したたる大和島根の伝統護持の
お気持ちをこう自然に託して歌われた。
いにしへの人も守り来し日の本の森の栄えを共に願わん
新天皇は「御祖(みおや)みな歩み給ひし真直(ますぐ)なる大きなる道」を進まれる
ことを寿(ことぶ)き、この御代替わりにあたり一人の民として謹(つつし)みて
祝意をのべさせていただく。
素晴らしい祝意、新元号【令和】「令嬢」「号令」と「和(やわら)ぎ」
「和を以て貴しとなす」(聖徳太子「十七条の憲法代」より)「大調和」
神武天皇の建国の大義名分『八紘為宇』(地球一家、地球家族)
まさに平成最後の日に私の思い、緑あふれる国土と地球環境負荷低減への旅の始まりです。
ちなみに、私の恩師 河内正臣(天皇の真実を知る会・会長)は
「広島市のマスコミ各社を含め、広島平和記念資料館のことを原爆資料館と名乗りますが、
多くの善良なる広島市民、広島県民へ対する強烈イメージ戦略であり、『怒り』『憎しみ』と
『恐怖』を与えてきた、平和運動は「核戦争防止運動」であり、真の平和運動ではありません」
一番、私の心に深く沁み込んだお言葉でした。
「スメラミコトイヤサカ」タナカ株式会社 代表取締役 田中 正之
平成31年(2019年)4月30日(火)「譲位の日」に。
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