平成31(2019)年4月10日(水)日経新聞 1面 『お金の未来どこへ』
「新紙幣24年度から、20年ぶり」〈キャッシュレス信仰強い日本〉
「世界は脱・現金加速」&コラム【春 秋】ネット検索参照
さて、タナカ株式会社 代表取締役 田中 正之は父が起業した
町工場で共に働いていた期間がありました。その当時は公共工事も多く受注でき、
地元の建設会社数社の下請け協力会社として、鋼構造物工事業(一般・建設業の許可)及び
建築一式工事業の許認可を5年更新で行政書士事務所での申請委託もお願いしていました。
そんな関係で工業系と商業系では前者の情報を必然的に収集する傾向が強く働いていました。
’19/4.10(水)日刊工業新聞コラム「産業春秋」
神功皇后と聞いて、ご存知の方はかなり歴史通だ。応神天皇の母親で明治14年(1881)
日本で初めて紙幣の肖像になった人物。
その後、紙幣に肖像が採用されたのは、現在の福沢諭吉、樋口一葉、野口英世を含め17人にすぎない。・・・
海外では現役の国家元首が登場するケースがあるものの、日本の場合はすでに亡くなられた人物を採用している。
生きているうちに、評価を定めるのは難しいためだ。とすると、現在人気の高いスポーツ選手やタレント、
現役の政治家が肖像として使う訳にはいかない。
実は明治時代には、明確な基準があった。1897年9月「兌換(だかん)銀行券人物抽出の件」を
閣議決定いている。「本邦上古より、洪勲偉績あるものにして、万古にわたり衆人の敬愛仰慕浅からず」
として、聖徳太子や菅原道真ら7人の肖像を採用するとした。新紙幣の3人を含めた20人のうち、
助成はわずか4人。神功皇后を除いては、ずっと男性が占めてきた。
それが2000年以降、紫式部、一葉に続いて津田が名を連ねることになった。
社会だけでなく、紙幣の世界でも女性進出が目覚ましい。
最後に4月10日(水)読売新聞「文化」〇磯田道史の「古今をちこち」『中西進先生と万葉集を語る』
令和という新しい元号が決まった。「万葉集」巻五にある大伴旅人(おおとものたびと)の梅の宴(うたげ)を
詠まれた歌の漢文の序が出典であると、菅官房長官から発表されるのをテレビでみた。
「令という字のついた年号は珍しいな」というのが、最初の感想であった。・・・
2年ほど前から、中西進先生には、しばしばお会いさせていただいていた
「万葉集と災害史について対談した本を出そう」という話で、この対談は
(潮新書)『災害と生きる日本人』先月(3月)に出たばかりである。最近中西先生とお会いしたのは、3月7日、
この本の出版祝いの席であった。先生が新元号の考案にかかわっておられたか否かは、
もちろん、私もわからない。新元号の発表後に、考案者と取り沙汰された先生ご自身が
「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。
考案者なんているはずがない」と、報道陣におっしゃったのは至極名言であるし。これを尊重する他ない。
ただ、私の方は、何も知らないものだから、先生とご一緒した時に、無邪気に、・・・
そのうち、万葉集の話になって、「大伴旅人がすきです!」と、私は、対談本で語りきれなかった
万葉歌人の話をはじめた。旅人は万葉集編纂のキーマンの大伴家持(やかもち)の父である。・・・
新元号の出典が、国際色ゆたかな大宰府の長官・大伴旅人の屋敷で宴がひらかれ、梅や欄を愛(め)で
ている歌の序なのがいい。ここで詠まれた旅人の歌は美しい。
「わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも」。令和の世に天の祥(さち)が
おりてきますように。(日本史家)
なんでも、趣味の世界を超え 後ろに「家」の付く人間にはどうすればなれるのだろうか。
4月9、10日(水)と地元、佐伯区にある「造幣局広島支局」於いて開催中「花のまわりみち」訪ね
かつて、私が工場製作、現場施工(鉄骨建て方)に携わった数ある鉄骨構造物を撮影可能な範囲内で撮りました。
最近の投稿