広島市 タナカ株式会社 代表取締役 田中 正之より
令和五年の干支『癸卯(みずのと・う)』にまつわる新年早々情報を入手しました。
日本三偉人の一人【徳川家康】の通説では、令和四年の干支『壬寅(みずのえ・とら)』
60年周期での当たり年だと言われていましたが、近年の研究で今年と同じ干支であり
西暦1543年(天文11年)1月31日だと480年、8周期後の今に甦る日本史の重み。
私の場合、大河ドラマ『どうする家康』⇄『読売新聞大阪本社版・朝刊』「文化面」
【磯田道史】(岡山市出身、慶応義塾大学卒、国際日本文化センター教授)の日本史家
2011年1月11日(水)『古今をちこち』(意味:あちらこちら、万葉集より)〈生成・発展〉
〈お城ブームにつながる広島城・イメージ〉
『家康は「寅」か「卯」か』~私の説を語ろう。家康が天文十一年十二月末の生まれだとまずい証拠物が
ある。家康は竹千代と命名された。家康の父・松平広忠が連歌会で「めぐりは広き園の竹千代」と
詠んだのにちなむ。『愛知県史』は「検討の余地がある」とするが、この時の連歌会の記録(懐紙)の
日時は天文十二年二月二十六日夜だ(称名寺文書)。家康は大事な嫡男だ。
天文十一年生まれなら連歌会の日まで二ケ月間も命名されなかったことになる。
家康は天文十二年卯年二月二十六日から遠くない日に生まれた可能性を指摘しておきたい。~
〈広島市南区京橋町・正一位松原稲荷神社〉
〈広島市大須賀町京橋川より対岸の縮景園を臨む〉
〈広島城を臨む その1〉
〈広島城を臨む その2〉
〈広島城を臨む その3〉
〈サンフレッチェ広島・新サッカースタジアム建設現場を臨む その1〉
〈サンフレッチェ広島・新サッカースタジアム建設現場を臨む その2〉
〈サンフレッチェ広島・新サッカースタジアム建設現場を臨む その3〉
〈太田川放水路・太田川大橋を臨む〉
本日の広島市は晴天に恵まれ、清々しく過ごしやすい一日になりそうです。
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