タナカ株式会社

BLOG 社長日誌

広島市 タナカ株式会社 代表取締役 田中 正之より

 

新年、明けましておめでとうございます。

 

旧年中はパンデミックの襲来で報道機関からの毎日が心理的に影響を受ける

 

日常でした。

 

 

 

〈令和二年11月「伊勢神宮」内宮~分散参拝「幸先詣」〉

 

 

しかし、個人個人の情報ネットワークとマスク着用でのコミュニケーションも旺盛に目立つ

 

日々を体感できました。

 

 

 

さて、本年のNHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』近代産業の礎を築いた渋沢栄一の激動の物語!

 

令和二年12月31日『日本経済新聞』書籍広告で知ることができました。

 

 

 

私の場合、たまたま昨年末に手にした 

 

島田 昌和著『渋沢栄一』社会企業家の先駆者(岩波新書)2011/7/20第一刷発行と

 

『日本経済新聞』2020/12/31「マーケット総合2」〈大機小機〉一礫さん

 

『新時代の「企業民主化案』を100年間の時間差を今に蘇させる試行展開をさせていただきます。

 

 

 

〈令和2年11月 京都市東山「法観寺の五重塔」と風景〉

 

 

今現在(本文より)

 

自由な個人の意見交換の場として、終戦直後の設立された経済同友会。1947年秋、

 

発起人のひとり大塚萬丈(当時日本特殊鋼管社長、1896~1950)は

 

「企業民主化試案」を公表した。 企業民主化研究会(委員長=大塚)の主張の骨子

 

➀経営、労働、資本の三者からなる経営協議会を中心に企業活動の民主化を進める

 

➁資本と経営を分離、経営機能は経営者が担い監査機能は資本家が担う

 

➂経営最高意思決定機関として企業総会を設け、経営者代表、労働者代表、株主代表の監査役による

三者同数で多数決議する-である。

 

労働者の全幅的な責任と協力を得て、経、労、資三者合作で企業民主化を確立させる。

 

 終戦直後の激しい労働運動、戦前における株主主権と対極する時代背景のもとで、

 

大塚は、企業経営の関係者すべてに発言権をもたらせることこそ、民主化の道と考えた。

 

 すなわち、労働者側の要求が過激に趨(はし)り、階級的功利に堕(だ)して企業の基礎を

 

危うくする場合には、「経営者と資本家とは一致してこれを阻む」。

 

資本家が監査権を濫用して企業を純然たる営利の具たらしめようとする場合には、

 

「経営者と労働者がこれを阻む」。経営者が労働者の福祉を無視して、独善的な経営に趨る場合には、

 

「資本家と労働者がこれを防ぐ」(寄稿論文より)は経営者を著しく制約する(パンデミックに類似)

 

ものとして、幹事会の議論が紛糾。一研究試案として公にするにとどめた。

 

 

〈令和2年11月京都駅近くの家電量販店〉

 

 

時移って今年(2020年)1月。スイスのダボスで開かれた」世界経済フォーラムの主題は、

 

ステークホルダー(利害関係者)資本主義だった。

 

顧客、従業員、取引先、地域社会、株主、あらゆるステークホルダーの利益に配慮すること、

 

従業員に正当な賃金を支払い、地域社会への投資、環境破壊の防止などが議論された。

 

 

かつて異端とされた大塚の経・労・資三者協同体の枠組みを超えて、「企業経営の関係者」が

 

社外に向けて一気に拡大している。 大塚が想定にはなかった、新たな企業経営関係者の信認を

 

いかにして確保するか。新年は、経済界の優先課題のひとつとして、「社会」を同列に組み込んだ

 

続・企業民主主義化づくりがいそがれる。(以上)

 

 

 

〈令和2年11月元離宮二条城「アートアクアリウム城」~京都・金魚の舞~〉

 

 

 

島田昌和著『渋沢栄一』第5章 社会・公共事業を通じた国づくり

 

p193~「徳川時代の儒教風に、『上の徳は風、民の徳は草』というように、

 

千達者が良い教えを立てて、これを民に与えるという傾向があった様に思われる」

 

と評している。(姉崎正治「青淵翁と宗教問題」『竜門雑誌』第五四二号、『電気資料』第四六巻)。

 

このような渋沢に対して姉崎は「帰一会の趣意は、通常いう意味の宗教だけでなく、

 

異なる国々、民族、階級、人種などについても、同様清算の役目を勤め

 

(また少なくとも清算交換の必要ある所似を示し)、これに依って、人類文化の将来に対して、

 

人心の根底から共同和衷の精神に進みたいという目標とするために努めたのである。

 

・・・・・・青淵翁の労使協調その他多くの社会事業に尽くされたのも、

 

翁の儒教主義から出た帰一努力の一面だと信じている」とあるように渋沢のエネルギーは思想を人々の

 

行動に反映した活動に移っていった(『伝記資料』第四六巻)

 

 

 

〈令和二年11月「京都国立博物館」風景〉

 

 

 

すなわち、帰一協会のもっていた国際的融合の具体的行動は日米同志会、日米関係委員会、

 

フレンド平和奨学金などの活動となったいった(「国際交流を推進する平和主義教育構想」)。

 

 

p194~5 協調会と修養段「労使問題の登場と協調会の設立」

 

 帰一協会への積極的な参加からわかるように、渋沢は社会的な軋轢回避のために宗教や道徳の統合に

 

大きな期待をかけたが、人々の内面に踏み込み、既存の各宗教の壁を突破することの困難さに直面し、

 

その期待感は急速に減退していった。しかし世界情勢は第一次世界大戦の勃発に見られるように

 

悪化の一途をたどり、具体的な対応を必要としていた。

 

 

なかでもビジネスに深く関わった渋沢にとっての最大の問題は、マルクス主義の影響を強く受けた

 

労働問題の登場であった。渋沢が選択した具体的対応こそが協調会であった。

 

 協調会は、第一次大戦直後の一九一九(大正八)年末に設立された、労働問題を専門に扱う

 

「官民一致の民間機関」であった(米川紀生「協調会の成立過程」)。この時期は、国際的にも

 

ロシア革命の勃発、欧米における労働組合の急速な発達、国際労働会議の開催など、

 

労働問題が注目されていた。日本もこれらの影響を受けて、急速に労働運動が高揚しており、

 

さらに戦後不況の始まりにより労働争議が頻発していた。

 

 

このような激動する時代の変化に対し、従来の温情主義に代わる新たな協調主義によって

 

対応していかねばならない、との考えによって設立されてのが協調会であった。

 

 

 

〈令和二年11月「伊勢神宮」内宮「池の鯉」〉

 

 

p201~このように労働組合の進展にともなって階級対立思想に基づく労使紛争が激発するなか、

 

多数の会社は協調会の強力を得つつ、労使の話し合い、相互理解のスタイルを確立していった。

 

 

施策としては穏健な労働組合を育成していく点で協調主義的施策であるが、その解決方法としては

 

労使一体理念に基づくような労使の相互理解の土壌をつくっていくものであった。

 

 

 

〈令和二年鳥11月三重県・鳥羽海岸〉

 

 

p209~渋沢の人間関係は深く社会に根ざしている。

 

渋沢自身は帰一協会の活動の挫折から東洋的な価値観と西洋的な価値観を統合したり、

 

共通部分を見出すことの難しさをよく理解していた。

 

 

 帝国主義や社会主義といった西洋の新たなインパクトを受け、西洋的価値観を受け入れた

 

新たな人間関係の形成をいち早く模索した、すなわち、二元論的人間関係(労使観)を

 

日本的に修正して導入しようと試みたが、「日本的」(一元的人間観、同じ土俵上であることを

 

内包すること)で進化させることははたされなかった。

 

 

 

〈令和二年三重県伊勢市・二見浦「夫婦岩」〉

 

 

 社会からは論理矛盾と受け取られれ大きな揺り戻しを受け、短期間に新たに進化したモデルを形成することは

 

できなかったのである。それはある意味では当然のことであり、戦後の企業別組合の発展とその中での

 

産業民主主義の形成、そして現代、ようやく緒につき始めた成果主義の欧米型の経営スタイルと融合した

 

経営の主体と実践に至っている。

 

 

 人間関係観の変革プロセスは当然必要とされる時間であり、その端緒を開いた渋沢の労使観・社会秩序は

 

多いに着目するべきであろう。(以上)

 

 

〈令和二年11月「伊勢神宮」外宮「幸先詣」〉

 

 

最後に新年早々「日本国民的」【パンデミック元年】の昨年より人々の暮らし方、働き方は激変いている中での

 

私からの時代の変化を見える化しながら多くの方々の明日へのヒントとなればと

 

「活字との出会い」から情報提供させていただきました。

 

 

欧米ではワクチンの認可・接種が始まった国からのテレビニュースも入ってきています。

 

「国産ワクチン」の開発を待つことなく「アメリカ合衆国製」新型ワクチンをいち早く接種すること。

 

 

日本国政府を信頼するだけの価値はあるとの思いからワクチン接種という実践。

 

新年のごあいさつとさせていただきます。

 

 

 

〈令和二年11月奈良県「法隆寺」五重塔など〉