タナカ株式会社

BLOG 社長日誌

平成30年(2018年)10月11日に広島市佐伯区に

タナカ株式会社を起業して1年超が経過しました。

 

昨年2月には懸案だった弊社ホームページも開設できました。

 

しかし当初の事業内容・計画とは時代のニーズを先取りとは逆に

 

社会からは成熟期に到達して、注目されない分野も見受けられました。

 

今後、地域社会ではどんなニーズがあるのかを新聞紙面を中心に

 

独自視点で検証したいと思います。〈イメージ写真を独自挿入〉

 

 

 

➀ 令和2年1月4日(土)日経新聞「半歩遅れの読書術」野矢茂樹(哲学者)

 

大森荘蔵という哲学者に出会う。

〈桜の名所 京都 哲学の道 令和元年12月29日(日)〉

 

 

著書には『言語・知覚・世界』(岩波書店)、『物と心』(東京大学出版会)

 

読む前、生身の先生のゼミに参加。

先生のやり方は、本を読んで勉強するのではなく、「とことん自分で考える」

 

私もそれに従ったが哲学書を読まずに哲学ができるほどの才能はないので

『大森荘蔵セレクション』と『ウィトゲンシュタインセレクション』共に

 

(平凡社ライブラリー)を推薦します。

 

哲学書を読むには適切なスピードというものがある。最初はある程度スタスタ

 

読んでも構わないが、次にどれだけ遅く読めるかかが勝負になる。

〈自分のことを大切に思ってくれる恋人願望の女子の願掛け行動多数〉

〈『黄昏流星群』ロケ地 祇園「須賀神社」12月30日(月)〉

 

 

一歩進む、立ち止まる。そして何か問題をつかまえたら、その問題を

 

抱えたまま読む。別の問題が浮上したら、その問題を抱えてまた読む。

 

何度も読む。

 

哲学はものごとに対する新しい見方を開いてくれる。

 

いまの自分のものの見方や考え方だけで読めてしまうようなものは、

 

たいした本ではない。

 

だから、まずはその哲学が開く新しい世界に入り込まなければいけない。

 

ある程度その世界が見えてきたら、そこからの読み方は

 

「遅い者勝ち」となる。どこか批判できるところはないか、

 

〈世界文化遺産 東山 慈照寺(銀閣寺)12月29日(日)午後撮影〉

 

 

深読みとあら捜し。だから、哲学書を読むときは、こっちもすごく

 

アクテイブになっていなければいけない。

 

私は、大森荘蔵についてとウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』

 

(拙訳、岩波文庫)について、それぞれ本を書いたが、「自ら本を書く」

 

という能動性のもとでこそ、哲学書をより深く読めるように思う。

 

哲学者が哲学書を読むとき、そこでは真剣勝負の火花が散っているのである。

 

 

 

➁ 読売新聞 令和元年9月10日(火)《特別面》

『言葉が運ぶ あなたの物語』日本語検定 受験者100万人記念対談

 

NPO法人・日本語検定委員会理事長 梶田叡一×シンガー・ソングライター

 

松任谷由実(1954年、東京都生まれ。多摩美術大学絵画科日本画専攻卒業。

 

72年にデビュー。「卒業写真」など、長年愛され続ける曲を世に送り出す。

 

90年のアルバム「天国のドア」は、日本人初の200万枚超の売上を記録し、

松田聖子ら多くのアーティストにも楽曲を提供してきた。

2018年、菊池 寛賞を受賞。

 

 

「移ろうものに名前を」

 

松任谷:1枚目のアルバム「ひこうき雲」は、雨とか霧とか雲の歌ばっかり。

 

ファジー(境界が不明確・あいまい・柔軟性があること)

 

な茫洋(果てしない、見当がつかない)とした歌ばかり。

 

でもそれをすごく言いたかったのだと思います。

 

思春期から作っていたものがデビュー作に集約したというのか。

梶田:思春期の頃から空をよくご覧になっていたのですね。

 

体験からの発想ですか。

 

松任谷:現実の世界とは意外と別次元なんですよ。

音楽は現実逃避の部分がありますから。

 

梶田:詩をお書きになるときも現実そのままというより、言葉やイメージが

 

ひとりでに自己展開していくことがあるのですか。

 

松任谷:アイディアがあれば。インスピレーションは常に求めています。

スイッチが入れば、すぐに自由になれるのですけれど。

 

〈世界文化遺産 清水寺境内「地主神社」12月30日午前撮影〉

梶田:芸術家の一つの素質ですね。現実の生活の中からしか出ないのでは、

ある意味で芸術家ではないですよね。欧米の小説家は、とんでもない

 

荒唐無稽(根拠がなく現実性がない)なものを構想していますでしょ。

松任谷:ストーリーテラー(筋の運びのおもしろさで読者をひきつける小説家)

 

だったりですね。

梶田:現実の生活から離れて、どこまで大きく羽ばたけるかが、芸術家の

 

あり方として大きいのでしょうね。次元が違うとおっしゃったのは、

そういう意味でよく分かる気がします。

 

松任谷:ラブソングもそのときの心理よりも、風景や匂い、湿度、皮膚感覚

 

のようなものを作品に封じ込めたいです。

 

それをきっちりと描ければ、聞き手が自分の心理を注入し、

 

自分のものにできるのではないでしょうか。

 

◆おもんばかる

梶田:私たちが日常見過ごしているこころが、実は根源的なものを感じる

 

ときの土台になっていると思います。そういう深いところに入っていく気

 

がします。

 

こういう日本語表現を身に付けるにはどうしたらいいでしょう。

 

松任谷:移ろいゆくものに美があると思っているので、グラデーション

 

(色が段階的に変化)をできるだけ細かく観察したり、感じたりすることが

 

大事だと思います。「夕日が赤い」と観念的(頭の中で組み立てられただけで現実に即してないさま)

 

に思うとそこでとどまってしまいますが、もっと自由に、感覚的に、バラ色になって、

 

すみれ色になって、匂いを感じながら、移ろっていくものにできるだけ沢山の名前を付ける。

 

梶田:そういう意味では、少しゆとりを持って、物事を見つめることを次の世代には

 

お願いしたいですね。「ヤバ」や「キモ」の一言だと、そのときの印象だけになって

 

しまう。移ろいを感じることが大事でしょう。

 

松任谷:あと、自分の温度だけでは心地よさは測れないわけですから、外と自分の両方を

 

常に感じる「おもんばかる」ことでしょうか。

 

こうしたら、この人はどう思うだろうとか。痛みが分かるには、歴史の勉強も大事です。

 

〈京都 宇治市 平等院の門前町周辺の景観12月31日午後撮影〉

 

〈世界文化遺産 宇治・平等院鳳凰堂の池と庭園 通路南側風景 〉

 

 

 

おもんばかるとは優しさであり、優しさは知性なのだと思います。

 

梶田:知性とはそういうものだと思います。目配りが利かなければいけない。

 

相手の後ろの側の世界にどういう気持ちが流れているのかにまで目配りし、

 

こだわらないといけないですよね。

 

最後に、日本語には、きちんとした論理性もあれば、深みのあるイメージを

 

醸し出す力もある。日本語の良さ、深さ、豊かさみたいなものを、

 

小さいときからもっと学んでほしいなとおもいます。

 

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