①読売新聞 2019年(平成31年)4月2日(火)
『新元号「令和」』「万葉集出典 初の国書」5月1日改元
〈読み〉「れいわ」〈頭文字〉「R」 政府は、新元号の令和をアルファベットで
「REIWA」と表記する。官民で使われる書類の年号表記などは、頭文字のRとなる。
新元号の候補となった6案の頭文字は、いずれも明治(M)、大正(T)、
昭和(S)、平成(H)と重ならないものだった。個人的にはこのR(REI)は、耳から入る音
心地よく好きです!
②産経新聞 平成31年(2019)4月17日(水)【産経抄】『パリは燃えているか』。
ルネ・クレマン監督の往年の映画は、ヒトラーの実際の言葉が、タイトルになっている。
占領下に置くパリの死守をナチス・ドイツ軍の司令官に命じていた。それが不可能になった時
、凱旋門などの重要施設をことごとく爆破せよ、とも。実際ノートルダム大聖堂の地下室にも、
3トンもの爆薬が仕掛けられていた。連合軍によるパリ解放の報を聞いたヒトラーは、命令が
実行されパリが廃墟となっているのか、周囲に確かめたのだ。
パリを救ったのは一人の英雄ではなかった。ヒトラーの命令を先に延ばしたドイツ軍司令官をはじめ、
多くの人々がかかわっている。映画の原作となったノンフィクション作品(ハヤカワ文庫)のあとがき
於いて、訳者:志摩 隆さんの指摘、奇跡を起こしたのは、「文化や芸術作品がもつ力」
1345年に完成、ノートルダム大聖堂はゴシック建築を代表する建物とされる。
とはいえその価値が理解されず、朽ち果てる寸前だった時代もある。
人々の関心を大聖堂に向け、修復工事が行われるようになったのは、文豪ビクトル・ユーゴーの力。
小説『ノートルダム・ド・パリ』。現在は観光大国フランスでもえり抜きの名所となり、世界中から
年間約1200万人が訪れる。15日夕方に発生した大規模な火災によって、大聖堂の屋根や尖塔が
焼け落ちた。・・・再建のために、文化や芸術作品がもつ力が再び奇跡を起こす時である。
平成元年(1989年)11月4日、成田国際空港を飛び立ち、アンカレッジ経由ドイツフランクフルト空港着
(途中、イギリスヒュースロー空港内一時待機)ドイツロマンチック街道~スイス首都ベンルン、ルッツェルン(カペル橋)
その橋も火災で倒壊を何年か経過して外電で知る。我が国も国宝火災が主因で「文化財保護法」制定とのこと。
ドイツベルリンの壁崩壊前夜、ドイツ、スイス、
パリ「大聖堂内覧&セーヌ川よりリバーナイトディナークルーズでも夜景と共に観覧」思い出の地の火災は
日本人の私も心が痛みました。二十数年前、ヨーロッパ石造建築における、屋根の構造材が何なのか関心を持ち
木造構造だったことと、今回のテレビ報道での関連を思い出すこととなりなした。
あの歴史的「ベルリンの壁崩壊」私の人生にまた、思いを馳せるシーンが生まれました。
また、2008年(平成20年)1月10日~7月30日まで「アメブロ」投稿の初期ご縁をいただいた
米国・ニューヨーク在住 「コモンるみ」さんのブログコメント「日刊工業新聞」於いての知見「渋沢栄一」
功績を紹介しました。ブログを終えた翌月、渋沢栄一の玄孫(やしゃご)渋沢 健さまの記事に遭遇
③日経新聞2019年(平成31年)4月10日『お金の未来どこへ』「新紙幣24年度から、20年ぶり」
〈キャッシュ信仰強い日本 世界は脱・現金加速〉「日本の現金流通量は突出している」(GDP比、16年時点)
1万円 渋沢栄一 5000円 津田梅子 1000円 北里柴三郎
⇓ 特筆ポイント
大正デモクラシーという市民社会の基盤ができあがった時代での私の中では輝かしい黄金の時代のようなイメージがありました。ところが明治維新の頃から活躍している栄一は、こんな状態ではダメだと苦言を呈している。
栄一は昭和六年、九十一歳で亡くなりますが、彼の憂慮どおり日本はその後、暗黒の時代へと突入していったのです。
現代を生きる我々も(経済的に)豊かな生活を享受していますが、守ることばかりでリスクを取ろうとはしていません。このまま、いまの生活が快適だからいいじゃないという考え方でいけば、子や孫の代に大いに憂うべき事態が起こるかもしれない。栄一の思想の現代的意義を捉え、いまの時代にいかに応用していくかを考えること。それが私の役目ではないかと思うようになりました。
chichi「致 知」CONTENTS 2008年8月号〈特集〉人生を潤す言葉
日本の実業家「渋沢栄一にまつわる話」掲載記事添付します。
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